MSHB

@渋谷O-nest

7.e.p 10周年記念イベント

7.e.pはマヘルのKからでたCDを2つ、国内盤リリースしてくださってます。アーリントンとカールのツアーなど、お世話になりました。あのツアー面白かったなぁー。
「他の岬」がリリースになったときにつらつら書いた文章があったので、のっけてみる。



朝は、樽を洗う水の音と階下のビール工場で話す男の人の大きな声で目がさめる。
まるで、窓から顔をのぞかせてこちらに向かって話しているように、よく響いて聞こえてくる。
窓から見える空はあたりまえのように青い。
今何時だろう。時計がないのでわからない。

寝袋にくるまったまま、階下の声や物音を縫って、3部屋がぶち抜かれたスタジオの隣のとなりの部屋の物音に注意深く耳をすます。
食器の音や、水道を使う音が聴こえてくれば、誰かが起きているしるし。
寝袋から這い出して、マスクをはずして、着替えて食堂へ出て行くと、たいてい半分の人が起きていて、テーブルについてコーヒーを飲んでいたり、朝ごはんを食べている。残りの半分は床にごろりところがって寝ている。
おはようと、言ったり言わなかったり。返事も、返ってきたりこなかったり。
誰かが作ってくれた朝ごはんを食べ、オレンジジュースを飲む。
杉本さんが髭剃りを始める。その長さに、皆で目配せする。
男の子たちはタバコを吸いに外にでていく。
残された私たちはぽつぽつと他愛もない話を交わす。

それから、シャワーを借りにYMCAに行く。はじめの2日間はアリントンの家で借りていたけれど、あまりにも人数が多くて時間がかかるので、アリントンが友達に口を利いてくれて使わせてもらえることになったのだ、と聞いたけれど、2回目からは2ドルとられた。Kのスタジオの階段を降りて、「ソレント」の脇を通って2ブロック程歩き、テンピュールの看板の店の手前で右に曲がるとYMCAがあり、受付で名前を言って、2ドル払い、2階への階段を昇る。2階からは1階の体育館が見えて、たいていステップのクラスをやっていた。日本もアメリカも同じだなと思う。ロッカールームはいつも空いていて、着替えている人が1人2人いるだけ。シャワーを浴びている人を見ることはなかった。私はいつも一番奥の広めの個室に入ることに決めていた。シャワーを浴びて、くつろいだような気持ちでメークもして、YMCAを出る。その後は、街をぶらりとしてレコード屋をのぞいたり、湧き水のところを通れば、たいてい誰か水浴びをしていて、そこにいなければフィッシュボウルのバーで飲んでいるのに出くわした。私も交じって1杯飲む。カキのカクテルも一緒にオーダーして、2,3人でつついた。カキは大きくてぷりっとしていて、おいしかった。カキがなくなってもなごりおしくて、わたしはソースをフォークですくって舐めながら、いろいろな名前のビールを飲んだ。他の人たちのも一口ずつもらって飲んだ。私が選んだのはたいてい茶色いビールで、Shiuが飲んでいるようなレモンを絞って飲む白いのには一度もあたらなかった。私はスタジオのすぐ向かいにあったこのバーを気に入って、毎日一杯はそこで飲まないと気が済まず、店の前を通るたびに、誰か飲んでいたら仲間にいれてもらおうとおもって覗き込む癖がついてしまった。

午後は早い時間はたいていおもいおもいに過ごし、演奏の準備をしたり、演奏の予定のない日には川に行ったり、森に連れて行ってもらったりもした。アリントンが世界で一番好きな場所にも。深く青い川と、白と黒の森の世界。
このあたりの気候は陰鬱で、雨が多くて寒いと聞いてきたけれど、毎日バカみたいに晴れて暑かった。川ではみんな下着姿で泳いだので、あとで写真をみたらパンツ姿の男の子がたくさん写っていて、なんだか恥ずかしかった。
私も泳ぎたかったけれど、水着がなかったので足をつけただけ。その気持ちを埋め合わせるように、帰ってきてから水着を買った。

演奏は、海に近いカフェで行われた。カフェの向かいは広い芝生の公園になっていて、丘のうえにはキャピタルが見えた。公園の向こう側は河口になっているようで、水着姿の子供たちが飛び跳ねながら通り過ぎて行った。私が歌っているときには馬車も鈴を鳴らしながら通り過ぎてゆき、最前列に座っていた女の子は気の毒そうな笑みを浮かべていたが、澁谷さんはいい効果だったと言ってくれた。演奏が終わってから、アリントンが「来てくれてありがとう!」と言って握手してくれたのが嬉しかった。
キャルビンを初めて見たのもこのカフェで、外の、リゾート地っぽい白いプラスティックのテーブルについて、友人たちと話しているところだった。笑顔でなかったので、ライブがつまらなかったのかと思って心配したが、後でキャルビンはそういう人なのだとわかった。

昼が長く、演奏が終わるころにやっと暗くなり、外を歩いているといたるところでいろいろなバンドが演奏しているのが知れた。湧き水の裏手もライブハウスで、毎晩大音響でヘヴィーな演奏が聴こえてきた。演奏の後は、食事はできるがお酒の飲めない所か、お酒は飲めるが食事は出来ない所に分かれなければならなかった。私はまず食べてから、もう飲んでいるひとたちのところに寄って、残りのビールをもらった。

録音は、夕方から夜半まで続けられた。暑いのではだしになり、ずっと立って演奏していると足が棒のようになる。一曲演奏が終わる毎に、ぞろぞろと隣の部屋に移動して、録音したものを試聴する。たいてい工藤さんと小林君がソファに陣取り、たまに澁谷さんも。私はソファにスペースがあれば滑り込み、なければ机の端に腰掛けて聴いた。幾つかのテイクから選ぶ時は、皆それぞれ意見を言ったりしたが、工藤さんはたいていアリントンがいいと言ったものを選んでいるように思えた。

地元の音楽家たちが入れ替わり立ち代り現れては演奏に参加していった。フルートやミュージカルソウをやるエスターに、小林君はジャイ子というあだ名をつけた。ジャーメインは、マヘルの録音のときにはよくわからなかったけれど、ma-onで演奏してもらって彼女のドラムをいっぺんに好きになった。アーロンはOld Time Relijunのウッドベースプレイヤーで、淡々としているがいい意味で変態で、演奏中に目が合ったときなどどきどきしたものだった。彼の胸毛はオリンピアのアンティークショップで見つけた1ドルのテディーベアのそれに匹敵する。スティーブはプロの音楽家で、トロンボーンはすばらしかったけれど、彼が参加したテイクはボツになってしまった。2日目に来たトロンボーンの女の子はスパイダーマンのヒロインにちょっと似ていて、髪をだんごにして海鳥の羽で留めていた。チェロの彼は最後の曲の時にいないとおもったら、試聴した格好のままねてしまっていて、全部終わってからもしばらく起きなかった。彼とバーで話したとき、バンド名の由来を尋ねられ、聖書からとったのだというと、俺のお袋は聖書をたくさんもっている。コレクターだよ、と言っていたので、録音の時彼が失敗するたびにやたらとオーマイゴッドと言うのはわざとなんではないかと思った。メラニーは奔放な雰囲気で、接しているとさやさんや二階堂さんを思い出した。皆、音楽家だった。

録音がひと段落するとたいてい12時ちかくになっていて、誰かが急いで近くのスーパーマーケットに行き、ビールを買ってきた。飲む人は2ドル払い、ナチョスを食べながら、たいてい音楽やその周辺の話をしてすごした。アリントンは切り上げ方を弁えているようで、もうベッドに入る時間だから、また明日、といって帰っていくたびにそのタイミングとかんじのよさに感心したものだった。

誰かが歯磨きをはじめると、男の子たちはじゃんけんで寝る場所を決める。毛布や寝袋で陣取って、眠る準備をする。
興奮していたり、心配だったりして眠れないと、夜中でもスタジオで演奏が始まった。既に眠ってしまった人の寝息や、寝床に入ったばかりの人が耳をすましている気配を感じながら。
全部おわると、私は寝袋にもぐりこむ。

時計もなく、日がな一日やりたいこととやらなければならないことがぴったり合わさった状態で過ごしていると、一日は長くて速い。
このまま暮らしていたら、きっと10年後も、今のまま、歳なんてとらないんじゃないかという気がしてくる。
目を閉じる。次に目を開けた時には青空がとびこんでくることを確信して。

こうして、時が過ぎたのだ。